スキルス胃がんだったとは!

夫がスキルス胃がんステージ4の告知を受けてからのこと

二日目のシスプラチン

「気分が悪くて昼ご飯も入らず、動けない」というLINEが午後に入る。「シスプラチンの副作用は翌日の方がひどいのかも」。

 

わたしは午後からの仕事を大急ぎで済ませようと仕事場へ向かった。仕事部屋に風を通し、お茶を淹れようと湯を沸かしながら、ふと嫌な予感がしてスケジュール帳を見た。今日じゃなかった。なんだもう、なんだもう、ほんとにもう。

 

昨夜は朝まで眠れず、まどろんでシャワーを浴び、慌てて出てきた。朝から何も食べていないし、何を食べたらいいのか頭が働かない。今日が何曜日でいま何時なのか、何度時計とカレンダーを見ても頭に残らない。

 

こういうことが何度かあって、先月取引先との契約をいったん終了させてもらった。何だかんだで辞めるのも大変だったが、年相応に気遣いもして最後の最後は円満に去ることができた。あのとき辞めておいてよかった。自分だけの仕事なら間違えても被害は小さくて済む。

 

「仕事の予定間違えてた。動けない」とLINEを送ると「俺も動けない」という返事が来た。いかねばならない。通いなれた道を間違え、車線変更に手間取り、着いたのは16時過ぎだった。

 

もちおは畳んだ掛け布団を枕に横になって看護士と何か話していた。顔色は悪くない。

「シャワー浴びたら少しすっきりした」

「動けるなら階下へいかない?わたし何も食べてない」

「いけるよ。いこう」

 

手を繋ぐともちおの手はブラウン管テレビのようにビリビリしている。オキサリプラチンを打っていた時も薬を打ってしばらくは手がビリビリしていた。古いノートパソコンのバッテリーを握っているような弱いビリビリ感。

 

シスプラチンは腎臓への負担が大きいので、数時間で一気に入れたあと、大量の水をひたすら点滴し続ける。しかし水を飲んでも薬の副作用で弱った泌尿器は上手く働かないらしく、利尿剤なしには排尿しきれないみたいだ。

 

今週は退院前にCTを撮るので造影剤も入れる。造影剤はこれまた腎臓への負担が大きい。Wパンチなので撮影後しばらく様子を見ると医師から話があったという。なぜ化学療法がはじまる前にCTだけでも撮影しておいてくれないんだ。生きた人間を相手にしているのに身体の調子を確かめず、空いたところに予定を入れられて病状が悪化したら堪らない。

 

抗がん剤がシスプラチンことエルプラットからオキサリプラチンに変わったのは、前回の点滴直後に肌が赤く腫れ上がるというアレルギー反応が出たからだ。「これが喉の奥に出ると呼吸困難になる。アレルギーが出るともうこの薬は使えない」と医師はいった。

 

「あんな風にアレルギーが出たのは、ポート手術直後の弱っているときに間髪空けずに投薬をはじめたからではないのか」とわたしももちおも疑っている。大した手術ではないと聞いていたポート手術はインターンの実験台に当たったらしく、もちおは緊張のあまり握りしめていた太腿が紫色になっていた。「こんなに怖い思いはしたことがない」と後から何度も何度も話していた。

 

一方わたしの膀胱炎は徐々におさまりつつある。医学の恩恵が受けられるのはやはりありがたい。去年の暮れに、アメリカに住む兄が急遽帰ってきた。何気なく買ったスーパーのナッツを食べた直後にアナフィラキシーショックが出たのだという。

 

兄は自分で呼んだタクシーが到着する前に路上で意識を失った。幸いそばに人がいて、病院で適切な処置を受けることができたが、「助かってよかった」と思うより、支払いの額に身震いしたという。「エピペンを買わなきゃならないんだけど、日本に帰って自費で買った方が安い」と兄はいう。

 

病院の食堂でわたしが食事をしているあいだ、もちおはドリンクバーのカフェラテがまずいとしょぼくれていた。飲みたいものがあり、がっかりする気持ちの弾力があるならまだ調子のいい方だ。わたしはひそかに安心した。はたして18時の夕飯は残さず食べて、食後には送っていただいたギー入りの完全無欠珈琲を「こっちの方が美味い」とひとりごちながら飲んでいた。

 

「元気なった?」

「うん」

「奥さんきたから?」

「うん。奥さん来てくれたから。もちおはしあわせもの」

 

しょぼくれるとき、甘やかしてもらって満足したとき、もちおは子供ような顔をする。わたしはもちおがあくびをするところを見るのがすきだ。あくびをするもちおは乳児に似ている。乳児はおっさんぽいから不思議はないのかもしれない。柳家小三治は小僧に似ている。もちおが小さな小僧のような爺ちゃんになるまで、そばにいられたらいいなと思う。