スキルス胃がんだったとは!

夫がスキルス胃がんステージ4の告知を受けてからのこと

苦しいときは針を持ちます

編み物好きな義母が帽子を編んで山ほど送ってくる。

 

「私にできることはこれしかないと思って、一生懸命帽子を編んどるんよ」

「もちおさんはお義母さんが編み物をしてもとくによくならないので、家事をしてください。そして片付いた部屋の画像を送ってください」

以来、義母は電話をかけてこなくなった。

 

義母は夫ががんの告知を受ける前から家事、とくに家計の管理と部屋の片づけが病的に苦手で、手芸、とくに編み物にかける情熱にはひとかたならぬものがあった。息子の病を口実にこれまで通りの暮らしを一途な母心として語られるのはおかしな感じがした。

 

電話は止んだが義母はことあるごとに編んだ帽子を届けてきた。書斎の壁一面に棚と机を作ってほしいと義父を招いたとき、義父は「母さんがこれ、もちおにって」とドングリが被っているようなニット帽を7つも寄越した。化学療法の副作用として脱毛があるならわかるが、もちおは生来の薄毛はそのままながら副作用としての脱毛はいまのところない。

 

キングギドラじゃないんだから」

キングギドラだって頭は7つしかない」

「これ、被ってほしいってことなんでしょうか。人に差し上げてもいいのかな」

「被ってほしいんだろう」

息子夫婦の呆れ顔を見て義父はムッとしていったが、あとで義母に電話をかけてみると

「好きにしていい、欲しい人にあげても、売ってもいい」

といった。義母は編んだ帽子を店に卸したり、フリマで売ったりすることも熱心で、この帽子は試作品なのではないかとわたしは思った。

 

こんな義母の手芸熱と家事放棄の大義名分に思えた「私にできることはこれしかない」の意味がわかったのは、好きだった料理にも得意だった片づけにもすっかり手がつかなくなり、眠れぬ夜に徹夜でブックカバーを縫い続けたあとのことだった。

 

わたしはただひとりの家族である夫を思ったよりずっと早く失うかもしれないという恐怖で参ってしまい、それまで得意で、自慢にすら思っていたこともできなくなった。ひとまとまりの長い文章を書く方法を思いつかず、落ち着いて本を読むこともできず、ただただ文字を追いたくて、一時はTwitterに入り浸り無数の泡を追うようにTweetを眺めながら神経を飽和させることに終始した。これにも疲れた。

 

腹が座って居直る覚悟ができたあと、わたしはTwitterを追う代わりに音楽を聴きながら久しぶりにミシンを踏んだ。本が読みたくなり、早川文庫サイズのブックカバーを作ろうと思ったのだ。

 

ミシンを踏むなんてとても調子がいい。型紙を作り直し、ほどいては縫い直すだけの根気が戻ってきた。はじめはそう思ったが、作り始めて三日目に白み始めた空を見てそうではないと気が付いた。眠れない夜の恐怖と焦りを弛緩させる術として、神経を高ぶらせ麻痺させるネット依存から手仕事に切り替えただけなのだ。

 

「もちおのことを思うと、もうずっと眠れんのよ」

という義母の言葉を、

「母さんはずっと編み物をしてる。夜中も起きて編んでる」

という義父の言葉を、そのときようやく理解できた。義母は本当にそれしかできないからこそ編針を持ち続けていたのだ。平素から苦手な部屋の片づけなんて出来るはずがない。片づけは今後の人生を受けて立つ覚悟なしにはできない。

 

さまざまなサイズの本の山といくつものブックカバーを眺めながら、この眠れぬ夜の副産物を義母はうちに届けていたのだなと思った。ネット依存よりずっといい。義母に手仕事という趣味があってよかった。

 

「ショックを受けたとき、苦しいとき、料理をするか針を持ちます。忙しくてどんなに時間がなくても、針は持ちたいと思うの。気持ちがスーッと静かになっていきます」

青森県弘前市に「弘前イスキア」を開き、生涯の終わりまで人助けとして食事を提供し続けた佐藤初女さんの言葉を思い出す。


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