スキルス胃がんだったとは!

夫がスキルス胃がんステージ4の告知を受けてからのこと

居直り料理

春の終わりに書いてから更新が止まっていたけれど、結果的にはこれといった生活の制限もなく普通に暮らしている。

 

結果的に、というのはその間に検査があり、手術があり、化学療法での試行錯誤がありと心労はひとかたならぬものがあったということなのだけれど、何はともあれ食事の制限も生活の制限もなく、面倒を見る子供や老人もおらず、さまざまな助けによって経済的にも何とかやっていけるのだから、贅沢な悩みなのではないかと内心後ろめたいような気持ちになることもある。

 

そうはいってもスキルス胃がんは治療法がなく、命にかかわる慢性病であることは変わりない。たった一人の夫が明日をも知れぬ身だという事実はわたしには落ち着いて物事を考えられなくなる程度には重い。

 

経済的には何の心配もなく、妻と子供に囲まれ、情報にも人脈にも恵まれ、後世に残る大きな仕事を成し遂げていたスティーブ・ジョブズと彼を囲む人々だって告知されてからの日々は辛かっただろう。

 

常にストレスにさらされることで衰えたわたしの認知力がとくに強くダメージを受けたのは日々の食事をどうするかということだった。

 

台所を預かる人ならおわかりになると思うが、料理とは材料を買いそろえるところからはじまり、献立を考え、残りもののやりくりをし、配膳と後片付けを終えて数時間後にはまたすぐに次の料理を考えなければならず、体力よりも頭がまともに働くときでなければ作れないものだ。

 

ことにいまは失敗すれば夫の寿命が縮むと思うと責任重大である。わたしが全責任を負って命を預からなければならない。夫は病人だし、そもそも夫はこうしたことは普通以上に疎い。予算と栄養バランスどころか自分が空腹なのかどうかも立ち止まって考えなければ気づかないほどだ。

 

台所に立つのが怖い。冷蔵庫を開けること、食材を選ぶのが怖い。とうとうわたしは料理をまったく作れなくなった。夫はネパールカレーを食べていればほかに何もなくて構わなかった。カレーに飽きると牛丼を食べて、大戸屋で定食を食べた。すべて外食。我が家の食費はこれまでの人生で考えたこともない額になった。そのレシートを家計簿に書き写すこともできなくなった。眠れない。家事ができない。わたしは病気ではないのに、恵まれているのに、気力を奮い立たせることができない。

 

この状態を打破したのは9月に入ったある日のことだった。

 

もう限界だ。これ以上外食を続けるのはわたしが嫌だ。わたしはもともと自分が作る料理が世界でいちばん好きだ。自分好みの味付けで、自分が選んだ食材を、自分の家で、気に入っている器によそって食べる。これに勝る喜びはない。そうして作った料理が夫の寿命を縮め、命を奪うとしても、もう仕方がない。どこかに理想の食養生があるとしても、わたしにはできない。やりたければ夫が自分で作るか、夫にそれを食べさせたい人が作ればいい。わたしはわたしが食べたいものを作って、自分の命と自分の人生を立て直そう。そう思った。

 

いうまでもなく責任を丸投げして外食したところで出てくる料理は理想の食養生でも何でもない。どちらかといえば自然志向の母から添加物や農薬を徹底して排除する食生活を叩きこまれたわたしの手料理の方がずっとましだ。完璧から程遠いものだとしても。

 

そんなわけで、この日からわたしは背負っていた食養生の悪霊の怨念から解き放たれたように作りなれた料理をまた作り始めた。

 

青菜の煮びたし『油揚げの原料である大豆はパレオダイエットでは危険物』『酸化した油の摂取は細胞を傷つける』雑穀ご飯『白米はがんを促進させる糖質』豆腐とわかめと葱の味噌汁『米味噌は糖質、麦みそはグルテンオピオイドを発生させる』『豆腐は大豆食品であり危険物』義妹が送ってくれたマヌカハニーで甘みをつけた切り干し大根の含め煮『加熱したマヌカハニーの栄養価は?』

 

食養生の悪霊は引き続きわたしに呪詛を吐き続けた。わたしは「そうだね、これを食べたら死ぬかもしれないね。運がなければ」と返しながら料理を続け、夫に出した。数日後、食養生の悪霊が手をまわしたのか、親族が突然がんと食養生の本を二冊送ってきた。夫が食事前に開封して読み始めたので本は長いこと食卓にあったが、わたしは手に取ることもしなかった。もういい。もうたくさんだ。知るか。Let it go, Let it beだ。

 

それでもひじきとピーマンのおかか和えの栄養価を調べたら「ひじきには発がん性がある無機ヒ素が多量に含まれるのでフランスでは危険物だ」とあり、三日ほど落ち込んだが、三日目に立ち直り、よく茹でこぼしたひじきでまたおかか和えを作って出した。ひじきのピーマンおかか和えは美味しいのだ。

 

夫の病状と病院との連絡はあまり上手くいっていない。そういう意味では何が解決したわけでもない。けれども再発に脅えて台所に立てず、食事のたびに出歩いて散財していた日々は去った。いつまでこうしていられるかわからないけれど、ともかくいまは家で食べなれたものを出せる。夫がそれを飲み込み、消化できること、美味しいねと笑いあえることがしあわせだ。

 

これがこの半年の進展。


人気ブログランキングへ