告知の告知の戒厳令
B総合病院へつくともちおが目を丸くして待合室のベンチに座っていた。
「はてこさん、こっち。仕事は?」
「休ませてもらった」
「悪いね」
「そんなこといってる場合か」
「いや、ほんと驚いたばい」
わたしももちおもまだ実感がなく、どこか他人事だった。
A医師に紹介されたB病院の院長はA医師と旧知の仲で、院長のB医師は外科医だということだった。
「Aさんの紹介ですから責任をもって担当します」
B医師は癖のある銀髪を一つ結びにした迫力のある人で、見るからにやり手で経験豊富そうだった。
「これからすぐに検査をして、結果を見て手術の日取りを決めましょう。仕事は?」
B医師ともちおが仕事の予定と検査の日程を話し合っているあいだに、わたしは電子カルテの文字を手帳に書き写した。
「胃胸郭からの4型」
A医師からの紹介だからと検査日や手術日はその場で決められ、診察は午前中で終わった。もちおは午後から仕事に出た。そして結局この日から数週間、もちおは検査の日をのぞいて引継ぎや何かで仕事に出ていた。
告知を受けたことはこちらが知らせるより早くA医師からわたしの父に知らされた。父はどういうわけか当初「告知を受けたことを誰にもいってはならない」と戒厳令が敷いたため、話はややこしくなった。
「早く治して会社に戻ってもらわんと」
告知を受けたことを報告にいくと、父は張り詰めた表情でいった。
「そんなに簡単に治るものじゃないんだよ」
とわたしが話そうとすると、父は鋭く
「おまえは関係ない」
と怒鳴った。
「ほかの誰にも関係ない。だから俺は誰にもいうなって言ってある。女房にも言ってない。俺はAに聞いて、みんな知ってるんだ。これはもっちゃんの問題だ。おまえがあれこれ口出しするな」
「B先生はAもよく知ってる。腕は確かだってAもいってる。よく話して、もっちゃんが決めたらいい。いるものがあれば俺にいえ。誰にもいうな」
わたしはこの期に及んで妻であるわたしさえ蚊帳の外に置き、男の世界に口出しするなを持ち出す父に辟易とした。心のうちを話すどころではない。誰に話して誰に黙っておくかは舅でも雇用者でも上司でもなく、もちお自身が決めることだ。治療方針だってそうだ。少なくとも父よりわたしの方が当事者に近い。
父が義理の息子の死の影に心底おびえていることにはたと気がついたのは帰りの車の中だった。父は9年前に直腸がんの手術を受けていた。A医師はもちおの予後について、よっぽどなことを父にいったらしかった。
もちおは父の指示に素直に従った。おかげでちょっとした不調だと考えた人たちは仕事の電話をひっきりなしに電話が入れてくるし、体調を聞かれたもちおは「お腹の調子がちょっと悪い」と答えるしかなく、もちおは検査の前後も飛び回っていた。
後にブログでもちおのガンについて書いたときに「告知されたことはよほどのことがない限り黙っているべきだ」と考えている人が大勢いることを知った。実際がんの告知を受けたことを話すとびっくりするようなことを言われてショックを受けることは少なくない。
けれども現実問題隠しておくことが闘病上不都合な場合は多々ある。
告知を受けたことを開示するかどうかは可能な限り当事者が決めることで、周囲が言うべきだ、隠すべきだと圧力をかける*1のは余計な負担を増やすばかりだと思う。
*1:隠す理由がわからなかったんだけど、がん患者を不吉な存在として忌避する人が一定数いることを身をもって知ったいま、最後まで隠し通す人は周囲に心配をかけまいとしているだけじゃないんだなと複雑な気持ち。