スキルス胃がんだったとは!

夫がスキルス胃がんステージ4の告知を受けてからのこと

三日目のシスプラチンと YAZAWA

微熱があるらしく、ぐったりしている。全身浮腫んで体重が5キロも増えた。腎臓の負担を減らすためにぶっ続けで水を点滴し続けているが、排尿が上手くいかない。通じもない。利尿剤に加えて緩下剤が出ることになった。

 

頬もお尻もふっくらしており、熱があるので血色もよく、見た目は健康的で昔に戻ったようだ。しかし今日はパソコンもタッチパッドもバッグの中で、スマホを触る時間も少ない。

 

少し難しいかと思ったが、気晴らしに階下の喫茶室で漫画を読もうと誘ったところ、「運動になるかもしれない」と起きてきた。点滴をカラカラ引きずりながら病室を出る。売店をのぞき、喫茶で珈琲を飲み、サンドイッチを食べて部屋に戻った。午前中に悲痛なLINEが来たので心配したが、これだけのことをする体力があるとわかって少し安心した。

 

とはいえやはり調子が悪い。部屋に戻ると倒れこむようにベッドに横になった。もちおの調子が出ないときはわたしも仕事をする気になれない。浮腫んだ手足をオイルでひたすら揉んだ。もちおはとろとろと眠りはじめ、落ち着いた寝息をたてていた。

 

ここ二日、廊下ですれ違う車椅子の男性がいた。50代半ばくらいだろうか、クールに決めたピコ太郎のような顔立ちに派手なドテラと派手な膝掛けをしていて、目を引く。視線に気づくとごく自然な調子で「こんにちは」とわたしに挨拶をした。

 

「素敵な膝掛けですね」「あ、これですか」

男性が膝掛けにしていたのは大判のバスタオルで、「YAZAWA」の文字が入っている。

「あ、YAZAWAだったんだ。どこかで見たと思ったら」

男性は決まり悪さと誇らしさの入り混じった笑顔を浮かべた。永ちゃんファンか。父と気が合いそうだ。

 

その日のうちに二回すれ違い、昨日休憩所にお茶を汲みにいって、また会った。ドテラは柄違いなこともあったが、YAZAWAのタオルが目を引く。

「こんばんは」

「こんばんは。またお会いしましたね」

「あ、そのお湯は熱いですよ、気を付けて!」

社交的で面倒見がいい。いかにも女慣れしている。だいぶ泣かしてきたに違いない。車椅子利用ということは病状は重いのかもしれないが、廊下で仕事の打ち合わせらしき電話をかけていたりして、覇気がある。

 

YAZAWA は暇を持て余しているようで、話ができそうな相手が見つかり、いかにも興味をもっている様子だった。わたしは知らない人が大好きなので、すぐにもYAZAWAの病室へ遊びにいくなり休憩所で談笑するなりしたくなったが、もちおが待っているので完全無欠珈琲を作って3回ともすぐに戻った。

 

今日は YAZAWA と一度もすれ違わなかった。

「今日は YAZAWA に会わないな」ともちおにいうと、もちおはつまらなそうな不審顔をした。もちおは妻以外の人にはおよそ興味がない。なので妻が片端から知らない人と知り合いたがることに毎度閉口している。もちおは妻と一緒に漫画を読み、妻と一緒に食事をして、妻と黙って向き合いながら、あるいは隣の部屋で、互いに好きなことをしているのが一番好きだ。

 

男性の病室と女性の病室は患者同士の交流に大きな違いがあるという。

女性患者は互いに知り合い、家族同士で交流が生まれることもある。確かにこれまで友人、知人の見舞いにいくとそんな感じだった。親戚の女性は長年何度も入退院を繰り返していたが、最後には病室の主のような存在になり、入院がはじまると顔見知りが集まってきてあれこれ悩み事を話すまでになった。

 

一方、男性患者はどこもカーテンを閉め切って、互いに話しをすることもない。喫煙所があるところでは少し事情が違うかもしれないが、いまは喫煙所に患者が集まることも減っているだろう。人好き、話好きの男性は気の毒だ。

 

最初に入院したとき隣のベッドにいたおじさんは、看護士が夜勤で入れ替わる度に名前を復唱し、どうぞよろしくと挨拶をしていた。検査に来るとちょっとした話題をふっては会話しようと試みる。見舞客が来ればうれしそうにする。しかしどういうわけか、誰もこのおじさんと会話をしようとしなかった。返事はする。しかしおじさんの気持ちを汲むような人間らしい会話を耳にすることはなかった。どうしたわけか見舞客までおじさんには一方的にしゃべり続け、言うだけ言うと帰っていく。

 

わたしは見兼ねておじさんに卓上ゴミ箱を差し入れた。おじさんは喜んで、お礼に差し入れでもらったケーキをくれた。もちおはまもなく退院したので、おじさんとの交流はそこで終わった。最後に話したとき、おじさんは転移が見られるので手術ができないという宣告を受け、化学療法に入るところだった。病室にいた別の患者さんは同じ日に摘出手術が出来ると言われたそうだ。

 

「あの人は手術ができるっち言われよったとにから、悔しい」とおじさんはいった。「あの人が手術できなくても、僕たちがよくなるわけじゃないですよ」ともちおは答えた。こういう会話は患者同士でなければできないと思う。

 

囚人服のような病衣の下に千差万別な人生がある。もちおが廊下で見舞客と知り合って喜ぶとはまず考えられない。一方、YAZAWA のおじさんやケーキのおじさんは留守宅を守る寂しい犬のような眼をしている。男性患者の中にもさびしい人はいるのだ。

 

今度 YAZAWA とすれ違ったら、もう少し話をしてみようと思う。車椅子と病衣が登場する前のおじさんの人生はきっと面白いだろう。夢中になって、もちおがうんざりしない程度に切り上げなくては。